私と嵐の話

 

私にとっての嵐…それは生きる糧。

 

大袈裟ではなく本当にそれぐらい大切で、嵐がいないと生きていけない…というか生きて来れなかったと思います。

 

今回はそんな私と嵐の辿ってきた道のりをお話ししたいと思います。

 

 

ジャニーズとの出会い

私は中学生の頃割と盛大ないじめ(盛大ないじめ?日本語おかしい?)を受けていました。どれくらいかと言いますと「ドラマで見るようないじめって本当にあるんだ〜〜〜へぇ〜〜〜」と被害者なのに遠くから傍観してる気分になるぐらいのいじめです。

 

殴られる、靴がなくなる、お金を取られる、持ち物をズタズタに切り裂かれる、人前で着替えさせられる、クラスメイトの前でスカートをめくられ押さえつけられる…など…今書きながら本当に3年間よく耐えたと思います。

 

そんな時に出会ったのが“ジャニーズ”です。

 

部活の仲間にいじめられていた私のことを助けてはくれないもののクラスメイトは普通に接してくれました。本当にそれが救いでした。その時仲の良かった友達が教えてくれたジャニーズの世界。私にとってそのキラキラした世界は本当に魅力的でそれまで何のオタク(強いて言えば文房具オタク)でもなかった私は一気に沼に引きずり込まれました。

 

当時売れていたのはNEWS、KAT-TUN関ジャニ…私は山Pが好きでした。野ブタをプロデュースを観て好きになり雑誌を買ったり少クラを観たり、ゆるゆるっとハマっていきました。

 

 

そして嵐に出会う

ジャニーズを知り色んなグループをゆるゆる好きになっていく中で当時まだまだ売れていなかった嵐の存在を知りました。知ったきっかけは友達が貸してくれた“きっと大丈夫”のCDでした。

 

 

回り道もたまには悪くない!

そんなことで悩んでナイナイ!

力抜いて休んでいいじゃない!

もう一度歌おう!

 

 

いじめが辛かった。でも、何故か学校を休んではいけない、彼らに負けたくないとずっと気を張って生きていた私の心にこの歌詞が響きました。そのあと買った“Happiness” “Love so sweet” もとても良い曲でいつの間にか私は嵐の虜になっていました。

 

曲がいいのはもちろんのこと深夜にやっていたAの嵐!、Dの嵐!という番組が本当に面白くて、深夜ならではのぐだぐだ感がたまりませんでした。「俺たち売れてないのにこんな深夜の番組でどうせ誰も観てない!」と言いながらパジャマで布団に入ってファミリーサイズのカメラで撮った映像が延々流れていた時もありました。その頃からいつか売れたい有名になりたいってずっと言っていたのを思い出します。

 

Dの嵐!のOPだったファイトソング(Love so sweetの初回限定盤カップリング)がまたいい曲で私は人生のいろんなタイミングでこの曲を聴きそして救われました。

 

いじめの真っ只中にいた私の心を救ったファイトソング。これはニノが硫黄島からの手紙でハリウッドへ行く時に彼への応援ソングとして作られた曲です。今考えると彼がハリウッドへ行っていた間4人で活動していましたがあまり売れていなかったこともありその事を知らない人も多い気がします。

 

 

今は悩むこともあるでしょう

ヘコむことだってあるでしょう

でも未来のどこかで君と

笑い合えれば道は作られる

 

 

ファイトソングの1番好きな歌詞です。ある番組で嵐が全国のいじめられている学生にメッセージを送っていました。

 

君たちは1人じゃない。僕たちがいる。

 

綺麗事かもしれない。それでも、当時の私にとって本当に心強い言葉でその言葉を聞いた時に生きていこう、生きていかなきゃと心から思いました。

 

ニノの情熱大陸で「自分は昔からよくいじめられていて、アイドルだからって陰でこそこそ言われてそういうのには慣れている。だから、嵐が叩かれる立場になった時他の人じゃなく自分だけが叩かれればいい、自分が盾になる。」と言っていたのを覚えています。

 

2020年で活動休止を発表した嵐。その会見でもニノは「大野が矢面に立って悪者にされるならそれは自分たちの力不足です。」と言っていました。自分がメンバーを守るという強い意志はずっと前から変わっていなくて、彼や彼らを好きで良かったと改めて心から感じた瞬間でした。

 

 

人生と嵐

中学時代に出会った嵐の存在。それはその後の人生においてかけがえのないものになりました。高校2年生の冬にクローン病を発症し大好きな部活にも参加できず2年生の3学期は一度も学校へ行けませんでした。入院中親が買ってきてくれる嵐の雑誌やCD、DVDが楽しみで入院生活はあまり辛いと感じる時間がありませんでした。

 

専門に入り入退院を繰り返し、留年が決まった時は流石に心がぽっきり折れましたがその時も嵐の曲に救われました。治験のために1人県外の病院へ入院し不安は沢山あったけど嵐の曲を聴くと自然と寂しさが消えました。

 

その後なんやかんやあって薬が効かなくなり、(前回の記事でも話しましたが)大腸全摘をすることになりました。大腸全摘をすることが決まる前まだ体調が少し安定していた時に「来年は嵐も20周年だし、そろそろファンクラブに入りたいな。LIVEにも行きたいな。」と思いファンクラブに入りました。長く嵐ファンをしていても病気が安定せずLIVEに行くこともできなかったのでやっと掴んだ嵐へ近づく一歩でした。

 

そんな時に決まった休止。涙が止まりませんでした。嵐ファンの友達とカフェで号泣しました。休止が決まってからの1週間は仕事の行き帰り車の中で号泣する日々でした。

 

絶対にLIVEに行きたい。今行けなかったら次行けるのがいつになるか分からない。その想いが通じたのか12年越しにLIVEへ行けることになりました。倍率の高いLIVE、しかも休止前最後で20周年のLIVE。奇跡だと思いました。

 

 

そして、嵐のLIVEへ

私は方向音痴で旅行もあまり行ったことがなく、ホテルの取り方も交通手段の調べ方も何も分からない状態でした。そこで、活躍してくれたのが専門から仲良しのお友達。今ではお互い病気は違えど心強い病気仲間でもあります。

 

友達も脂質制限があるので私も気兼ねなく食事や旅行を楽しむことができました。その友達と2人で福岡へ。休職中だった私たちは時間だけはたっぷりある。2泊3日の嵐旅行が始まりました。

 

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見てくれ、浮かれとる。

そりゃ浮かれるでしょ。

やっと会える嵐なんだから。

 

LIVE当日、ジャニーズのLIVEは当日まで席順が分からないので席が何処になるのかドキドキわくわく。同じ空間を楽しめることが幸せなことだから席はどこでもいい!とはいいつつやっぱり良い席だったらいいな…というのが本音。チケットをスタッフさんに渡し席へ行くとなんとスタンドのど真ん中。めちゃくちゃ良席。アリーナではなかったけど目の前に嵐が来る位置で、ムービングステージに嵐が乗ると肉眼で見える位置まで来てくれました。

 

本当に嬉しかった。明るい曲でも自分の過去や人生と重なってボロボロ泣いてしまいました。私の人生は嵐と共に歩んできました。どんな時もいつも嵐は私に寄り添ってそばで支えてくれました。だからこそ、この瞬間が幸せすぎて夢かもしれないと思いました。

 

最後のメンバーの挨拶。一人一人がファンに向けて沢山の言葉をくれました。そんな中、翔くんが会場に向けて質問をしました。

 

「10周年の国立のLIVEに来てくれた人いますか??」

 

沢山の人が手を挙げていて翔くんも驚いていました。

 

「では、今回が嵐のLIVE初めての人はいますか??」

 

手を挙げたのは数人でした。私と友達、そして会場にちらほらと控えめに上がる手。皆んな少し引け目があったのだと思います。ファンなのにLIVEに行けなかったという引け目。

 

「あなた達のことずーっと待ってましたよ。」

 

その控えめに挙がる手を見て翔くんはこの言葉をくれました。その瞬間、泣き崩れました。ガチ泣きです。膝から崩れ落ちました。LIVEに行きたくても行けなかった、ファンなのに現場に行けなかったそういう嵐に対する後悔が全て消えていきました。いじめや病気で大変だったけど頑張って生きてきて良かった、売れると信じてこの人達についてきて良かった。全ての感情が溢れ出した瞬間でした。私はこの日の事を一生忘れないと思います。

 

どんなに売れない時期も嵐はずっとファンへの感謝を伝え続けてくれて上を目指す気持ちを捨てませんでした。色んなタイミングで嵐を好きで良かったと思わせてくれました。だから、ついてこれました。

 

嵐結成5周年の時の24時間TV。相葉くんがメンバーに読んだ手紙で最後に言った言葉…

 

「TOPになりたいって夢、絶対叶えようね。」

 

彼らは叶えてくれました。謙虚な彼らからしたらTOPではないと否定するかもしれませんが、国民的アイドルになりました。遠くへ行ってしまったと感じる瞬間もありましたが、彼らから出る言葉やファンに対する態度、信念は今も昔も変わりません。だからこそ、売れても近くに感じます。

 

最後の年がコロナのせいでめちゃくちゃになってしまったけど、インスタやYouTubeで繋がってくれる嵐に感謝しかありません。

 

 

最後に

書きながら結局何の話だったっけ??となりましたが、私にとって嵐の存在がどれだけ大きいか…それだけは伝わったと思います!!いや、それが伝わればいいのです!!!今までもこれから先も私にとって嵐は特別でもはや家族?レベルの存在です。勝手に家族にされて迷惑かもしれませんがそれだけ大切な存在ってことです。嵐がいなかったら確実に今の私はいませんし、人生のレール外れまくって崖から落ちていたかもしれません。だから最後に、嵐に出会えて本当に良かったです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

嵐の話ばかりしましたが、実は今新たな推しができました。その話はまた今度。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後まで読んでくださり

ありがとうございました🙏